2008年11月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

くるくる

--------------

  • TypePad
  • いまAmazonで検索
  • Google検索
    Google

スポンサーのリンク

  • Amazon
Powered by TypePad
Member since 12/2006

« 2006年2月 | メイン | 2006年4月 »

2006年3月

2006/03/30

あかん。。。球撞きたい。。。

球撞きたい。。。

球撞きたい。。。


あかん、
こんなへぼへぼ日記に成り下がってしまった。。。

2006/03/21

「入ってしまう」のは危ないか

最近球がよく入る。

出しは相変わらず加減がうまく出来なくてイメージとぜんぜん違うところに

(たいがいは強くて、寄せると寄り過ぎ、引くと引けすぎ。。。)

出ている。

それでも、何か知らんが球が入るので何とか続いたりする。

以前はめちゃめちゃ慎重に狙って、厚みを何度も確かめたような球が、

割とあっさりポケット中心に入る。(もちろん、すごく苦手な球は相変わらずだめ。)


そこが今私の中で問題だ。


極端に言うと、何で入ったのか分からんレベルの球がある ということ。

さっと立って(シュートポジションに)、さっと構えてさっと撞いて、

入る。

短→短の激うすカットも、緻密に何度も確かめるより、感覚でサクッと撞くほうが入ってしまうときがある。

遠い引き球も弾かずに綺麗に引けることが多い。もちろん先球は入っている。

こんなことをしてると、どんどん、実感の伴わない球撞きになって、いつか、この、

「はいってしまう」時期が終わるとき、何にも入れられへんようになる気がする。


入れは非常に大事だと思うが、わかって入れているので無いと、勝手に入ってる「入れ」に

あまえると、どんどん、出しが甘くなって、いつか壊れる気がする。

いま、たくさん練習するべきときなんやろうが、

あと2週間で今の仕事を引き継がないといけない。

こちらのほうが大イベントなのでやむをえない。

2006/03/16

おおおおお!!YouTube

 
 
先日、シュールなおにぎり青年Jと立ち飲みに行ったときに、

Led Zeppelin 1973ライブ を観た。

immigrant song


ものすんげ~~ かっこよかった。

16のときに初めてフォークギターでトライしたのは、長渕剛の「巡恋歌」イントロと、

ツェッペリンの「天国への階段」のイントロだった。

ジミーペイジはヤッパリ神様だ。


Wikiで調べてフムフム言っていると、すごい記事があった。
タイム感 という言葉も初めてだったが、分解能とか、シャッフル感とか。
微妙に判りにくい感があるが、とにかくすごいのだ。
詳細はWikiの記事をフムフム読んで欲しい。

タイム感のところの引用・・

※タイム感=仮に一小節の一拍を96分割し、その96×4拍=384を一つの尺度とした場合、348の中で繰り広げられる8ビート(あるいは16ビート)の譜割において、四分音符による4拍が「0(384)、96、192、288」あるいは8分音符8拍が「0(384)、48、96、144、192、240、288、336」で刻まれるのが「ノーマルなタイム感」であるが、ドラマー個人において少々のバラ付きがある。ボーナムの手癖にあってはそのタイム感が他のロック・ドラミングに比して極端にクセが強い。8ビートでも16ビートでも「ややシャッフル気味に叩く」のが彼のクセであり、1/4拍を常に「シャッフル気味の5連譜」で分割しながら叩いている。ボーナムのタイム感に対して、ギタリストであるペイジのタイム感は明らかに「走り過ぎ」「モタリ過ぎ」なのだが、その二人のタイム感の差異をジョーンズのベースが96分割の4倍強の分解能で「絶妙なリズム補正」を施すせいで、LedZepの演奏には比類ないスリリングな「グルーブ感」がもたらされる。1980年代後半のデジタル・レコーディングの世界ではその1拍に対する分解能を「タイム・ベース」と呼び習わし、ボーナムのドラミングだけが他のドラマーにないタイム・ベースを割り振りをしていたため「独特のタイム感」と評価されるようになった。だが彼のそのタイム感も、ペイジの奔放なリズム感とジョーンズの異常な分解能があってこそ、バンド独自のグルーブ感として現存しているという訳だ。


 
参った。


もと記事はここね==>
 
 
 
 

5杯目:マグロ漁船に乗ったらね

志村けんさんかと思った!というと少々失礼だが、雰囲気が似ている。

笑顔かな。やさしくて、小柄で、お話し上手で、世界中に友達が居る、

そんな、おっちゃん<D>の登場。

初めてご一緒したときは、何かの映画で共通の話題が合ったんだと思う。

そのあと、Tちゃんがエジプトに行った話の流れで、なぜかおっちゃん<D>の

世界スケールの話に。

なかでも、マグロ漁船のお友達の話は圧巻。


マグロ漁船に1年余り乗って、その友人は日本に帰ってくるらしい。

ポケットというポケットにに入りきらないほどの札束を詰め込んで。

そして、おっちゃん<D>に電話してくるのだそうだ。

「帰ったよ。めし食いに行こう!」

程なく、友人の乗ったタクシーがおっちゃん<D>を迎えに来る。

食うわ呑むわで大いに楽しんだあとは、

その友人はそのままの勢いで家を買う。
(札束はそれくらいあるのだ)

そこに、恋人をパッと見つけてパッと結婚して住んでしまう。

2年ほど日本に居ると、また海に行きたくなり、マグロ漁船に乗ってしまう。

帰る保証が無いので、離婚する。

話半分に聞いていたが、おっちゃん<D>の話術はなかなかのもので、

いまでは9割信じている。信じているし、その友人の方に一度お会いしたい。


いくら、海の男がかっこいいからって、いくら、ン千万を1年で稼ぐからって、

パッと見つけてパッと結婚って。。。。。


かっこよすぎる。。。。。。
 
 
 

ちなみに、おっちゃん<D>は、一番すきなのはオランダ人だそうだ。

やさしい恋人が、むかし、居たのだそうだ。

それはそれは素敵な恋をしたそうだ。


聞かせていただいてジーンと来たが、照れくさいので、

「よーし、ほんじゃあ、俺もマグロ捕るから、Tちゃん、俺が買うモナコの家に
 一緒に住もう!住んで~!」  の方向で笑いにしといた。


いいアイデアを貰った。

マグロかどうかはゆくゆく考えるが、稼いで稼いで、信じられないくらい稼いだら、

モナコかモロッコに住もう。

そこに住み着いたら、一生を独身で暮らすのだ。

それで、世界中の女の子と素敵な恋をしよう。


そういうイメージを持っているのも、悪くない。

映画「コラテラル」の運転手が持っている、楽園の絵葉書みたいなもんだ。

本当にそれが良いかどうかとかは関係なくて、その情景を想像することで、

すごくリラックスした楽しい気分になれる。そういう映像を出来るだけ詳細に、

頭の中に撮影するのだ。

で、時々、上映して、楽しい気分になって、毒が抜けて、やる気が沸いてきたら、

さっと目を開け、現実に戻り、さっきよりもガッツを持って問題に取り組もう。

2006/03/11

4杯目:もじあそび

カウンタで出会った順番はここからバラバラになります。

最近の出会いから。
 

俳優みたいな顔立ちとムードを持ち合わせた、50才ちょっと(?)の紳士。おっちゃん<C>登場だ。
 
身なりも声もかっこいいのだ。
 
少し前から気になっていたんだが、ふとしたきっかけでおなじ話で大笑いした。

***

常連のみんなで、「ウンダーベルグ」のことを話してたとき。

   解説はここに

まあ概して酒の強いお客さんが多いが、呑みすぎの話からウンダーベルグの話題に。
 
お店のTちゃんはこれを知らないというので私を含めておっさんたちが寄ってたかって解説しにかかる。

「ま、ソルマックみたいなもんや。」と某。

Tちゃんは無邪気に、「ほんなら、薬局にもおいてます?」と。


その聞き方が可愛かったのと薬局においてるという発想が受けて、場のおっさんは全員腹をよじった。

Tちゃんはちょっとふくれて、「だってそう思いますやんかぁ」と。

それで打ち解けて、おっちゃん<C>と話すようになった。


ほんとに不思議なことに、いつでもこのカウンタには和気藹々のムードがあり、ルールがあり、マナーがある。

その上にユーモアと笑いがあるのだ。


おっちゃん<C>はかなりの呑み助(失礼)で、

ものすごいエピソードを聞かせてくれた。


想像して欲しい。   「1年で、スコッチを54本。それも、イニシャルのAから順に」というのみかただ。


ロバートパーマーもまっ青か。 (W


これには到底かなわないので、僕なりのひねりをこう返した。

「それなら私は、イニシャルをつづって、Tちゃんに何かメッセージを」ってね。

「でも長いラブレター書けないっすね。。。。」最短で8本か。。。。


われながら虫唾が走るくらいの気障なせりふだが、そういうのを平気で言える図太さが僕のウリの一つなので。。


でね、
そうしてその夜も楽しく深く更けてゆきましたとさ。


ああ、酒って良いなあ。。。。

 
  
 

2006/03/08

母のめまい

 
何年かぶりに、メニエール(めまいの病気)で母が救急車に乗った。
 
妹が駆けつけて、いろいろしてくれたようで大変なことにはならなかったが、
 
昭和18年生まれはもう丈夫な体を持っていないので非常に心配だ。
 
心労だろうか。考えすぎて心配しすぎるところが有るから、もっとしばしば帰って
 
安心させてあげようと思う。
 

なんびとでも無い、今は老いて小さく弱くなってしまった母ではあるが、
 
小さかった僕にとっては正義のすべてであり、美であり、道であり、
 
母が父を愛する姿は女性の鑑だとおもってきたのだから、
  
こんな、何もできない僕でも、やはり、静かな老後を過ごさせてあげたいのだ。
 
僕にできる親孝行はそれくらいしかない。
 
 
 
 いつもの立ち飲みで、仲良くしてくださっている大先輩が話してくれた。

その先輩はいま、52歳。
 
いま居られる会社で、来月、代表取締役に就任されることが決まった。
 
感無量の喜びの中、想ったのは、母上のことであったそうだ。
 
この方が社会人になられるとき、母上が、「これくらい持っていないと」と
 
作ってくださったらしいのが、実印だったそうだ。

ご両親が名づけたいとしい息子の名前を彫った、大切な実印。
 

ご自分でおっしゃるには、

「私は普通のことしかしてきていないですよ。
 目だってすごいことをやってきた覚えが無いのに、こんな風に、サラリーマンとして最高の
 出世をすることができたのは、母親の加護があったからですよ。そうとしか思えない。」

九州でいま、ふせっておられるお母様に、今月報告に行かれるのだそうだ。
 

 

私も、母が元気なうちに、泣いて喜ぶような親孝行をしたい。
 
親父の時には間に合わなかったので。